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キンタロー。 名前の由来 壮絶半生! 【動画】 [自己啓発]

キンタロー。 名前の由来 壮絶半生! 【動画】



【キンタロー。さん ネタ】


【まんたんWEB】
人気急上昇のお笑い芸人「キンタロー。」さん。芸歴10カ月ながら元AKB48の前田敦子さんのものまねでブレークし、AKB48との共演も果たし、ものまねの“お墨付き”までもらい、今や飛ぶ鳥を落とす勢いだ。浅い芸歴ながら、キレのあるダンスは社交ダンス講師としての経験、コミカルな動きは結婚式の余興で培われた。そしてAKB48メンバーを前にしても物おじしない舞台度胸は芸名に秘められた覚悟があるという。

キンタロー。とは?
松竹芸能タレントスクール出身で、12年4月に松竹芸能に所属したばかりのピン芸人。81年10月24日生まれ、愛知県出身のB型。趣味はシュノーケリング、読書、社交ダンス(競技ダンス)歴10年(各種タイトル優勝経験有り)、ものまね(光浦靖子さん、元AKB48の前田さん、デヴィ夫人など)。特技は、社交ダンス講師免許、英語検定二級、商業英語検定一級、普通自動車免許、家庭科検定三級。短い芸歴ながら、12年11月には東京・新宿のものまねショーパブ「そっくり館キサラ」の20周年特別企画「ものまね王に俺はなる!2012」へ出場し、応募総数341人の中で初代グランプリを獲得するなど、実力を発揮している。

29歳で一大決心
小さい頃から人を笑わせることが好きで、6年前に亡くなった母親もキンタロー。さんのお笑いが好きだった。お笑い芸人志望だったが、一度はあきらめ、社交ダンスの講師に。唯一の楽しみは結婚式の余興。「(友人たちが)結婚ラッシュだったので、余興でお笑いをやって喜んでもらっていた」。社交ダンス講師から会社に就職した際、「人間って本当になりたいものにはなれずに死んでいくんだなと思ってたそがれていた」という。

転機が訪れたのは、29歳の時の友人の結婚式。大学の先輩から「お前、まだこんな所にいたのか。お前はここにいる人間じゃないやろ」という言葉だった。「私がどんなにお笑いが好きかすごく理解してくださっている先輩だったので、言葉がすごく心に響いた」と、お笑いへの情熱を取り戻し、そのまま松竹芸能のスクールに入学した。

芸名は絶対に後戻りしたくないという思いから「こだわり抜いて考えた」。「お笑いの世界ってまだまだ男社会。そこで勝ち進んでいくためには、絶対いかつい強い名前だと思った。やっぱり強いといったら何やかんやで『金太郎』だ。子どもなのにクマを家来にしてしまうあのすごさを私もお借りしたい」と芸名に覚悟がにじんでいる。名前の最後の「。」は、アイドルを意識したのかと思いきや、「ネットで検索して、画数でもう1画増やした方がいいと。そこは弱々しいんです……」と明かした。

炎上からブレーク、そして公認へ
ブレークのきっかけとなったのは、昨年末のテレビ番組で前田さんのものまねを披露してから。前田さんのファンから「ばかにしすぎ」「あっちゃんに謝れ」という非難が殺到し、ブログが“炎上”。大きな話題となり、一気に時の人になった。そしてAKB48メンバーとテレビで共演。「人によっていろいろな見解があると思いますが、私はAKB48全般のものまねについて“公認”をいただいてると解釈しています」と心置きなくメンバーのものまねができるようになった。

人気の実感はそれほどなかったというが「最近『やややっ』と思い始めている」といい、「ライブが終わったあと、すごくアットホームな感じでお客さんにお菓子を配っていたんですけれど、最近は(客の人数が増えて)方針を変えなきゃいけなくなって、(AKB48の)握手会のようになってしまった」とその急激な人気ぶりを明かした。

そんなキンタロー。さんの最近の悩みを聞くと「若干ちょっと髪が薄くなってきたような……。あと、ほうれい線が気になります」という答え。「まだ私お嫁に行っていないんで、ウエディングドレスを着るときに、20代のような美しさでいたい。髪の薄さと、ほうれい線は許せないので、なんとかケアをしたい……」と女性らしい悩みを明かした。


そして「NEWS ポストセブン」では、さらに壮絶な半生と、お笑いに掛ける決意が綴られています。

【NEWS ポストセブン】
「超お嬢様」だったキンタロー。 ブレイクまでの壮絶な半生

元AKB48・前田敦子のものまねでブレイク中のキンタロー。(31才)だが、ここに至るまでには壮絶な半生が隠されていた…。

キンタロー。は、愛知県生まれ。父親はある駅前の繁華街にある雑居ビルを所有し、自宅以外の部屋をテナントとして貸し出し、生計を立てていた。母親は専業主婦で、キンタロー。は5才年下の妹とともに、「超お嬢様」として何不自由なく育てられた。

地元の高校を卒業後、キンタロー。は、海外留学で身につけた語学力を生かし、大阪の関西外国語大学に進学。ダンス部に所属し、社交ダンスを始めた。

もともと努力家だったこともあって、みるみるうちに上達していったという彼女。在学中に、全国大会で4位に輝くまでになった。その活躍を誰よりも喜んだのが、母親だった。

「“ダンスの大会に応援に行くんだ”と、とても嬉しそうに話していたのを覚えています。衣装代とかもかかるので、月に20万円も仕送りをしていたそうです」(近所住民)

大学卒業後もキンタロー。は大阪に住み続け、社交ダンスの講師となった。社会人としての第一歩を歩み始めたが、このころから“天国”のような彼女の人生が“地獄”へと転落していく…。

「折からの不景気で、ご両親の所有するビルに全くテナントが入らなくなっていったんです。それで経営がうまくいかなくなったそうです。借金も増えていったと聞いています」(前出・近所住民)

当然、それまでのような裕福な暮らしはできなくなった。次第に母親は塞ぎ込むことが多くなり、周囲に「死にたい…」とつぶやくようになっていったという。

そして、今から6年前の2007年2月16日夕方、近所の鮮魚店で買い物を終えた母親は、ビルの屋上から飛び降り、自ら命を絶った。

「近所の人が救急車を呼んだり、人工呼吸したりしたんですが、即死状態でした…」(前出・近所住民)

この悲報を聞いたキンタロー。は、すぐさま実家へ戻った。

「ただただ、姉妹で泣いてました。手紙も何もなくて、本当に突然だったので…。これからどうしたらいいのかわからなくて。本当、何もかも全部お母さんがしてくれていたので。食事ものどを通りませんでした…」(実妹)

母親の自殺に父親もショックを受けて、病気を患い、いまでは名古屋市内の特別養護老人ホームで暮らしている。病気になった父、悲しみに打ちひしがれる妹。そんな家族を見て、キンタロー。は、ある決意をする。

「“お母さんは、私のものまねが好きだった。天国にいるお母さんのために、頑張っている姿を見せたい。そうすることで、お母さんも笑ってくれるし、家族も元気になるに違いない”と強く思うようになったそうです。それで、小さいころの夢だった“お笑い”の道に進むことに決めたんです」(キンタロー。の知人)

キンタロー。は2008年、実家を離れ、名古屋市に引っ越して芸能スクールに通い始めた。
そして今に至る。





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